本日は昨日に引き続きウィキッド感想ですが、ちょっとした気づきとか考察みたいなものも解説していきたいと思います。
スウィートビターな世界観
本編は一人の少女が友を得て、別れ、自由になるという壮大なストーリーなのですが、政治的な話が盛り込まれており、よくこんなの盛り込んだな・・とは思わずにはいられませんでした。
ミュージカルで洗脳と排斥、ライトな民族浄化のような話をしてます。
国民は洗脳されているし、サルの親衛隊だって家族を人質に取られてるし、ぶっちゃけ
中国共産党・・?
ってなりました。
中国でこの映画上映できるんですかね?
もし上映することができたとしたら、きっと中国人民の方々は既に檻の中で育てられて大きくなってしまったのかな?とか・・。
もちろん、中国に限らずあらゆる民族主義・全体主義的な国家はこんな感じだと思いますが…。
マダム・モリブルと傘
エルファバの師匠となるマダム・モリブル(ミシェル・ヨー)ですが、出番はそんなに多くないのに存在感がめちゃめちゃあります。
言葉数も多くないのに、ミステリアスで権力がありそうなのがしっかり伝わります。
ちなみにすずやは急に雨が降って、大勢の生徒がいるのにマダム・モリブルが自分の傘を自分とエルファバだけに差すのが面白いなと思いました。
マダムにとっては、特別な生徒というのはエルファバしかいない、という非常に分かりやすい演出です。
しかも、グリンダが取り巻きに小さなバッグで濡れないようにかざしてもらっているところも描かれており、
結局グリンダが欲しいのは、あの傘の中に入れてもらえる立場なんだよなー、演出うま。
と思いました。
マダムの持っている魔法が「天気を操る」能力なのは、エルファバが最後空を飛ぶ(雲のさらに上を抜けることが可能)で、エルファバの方が強いということを示すためだと思います。
映像が一番よかったのはラスト。
映画(映像)になって一番良かったのは、ラストだと思います。
ラスト、とにかくかっこよかった。
かっこよかったです(2回目)
映画だとほうきで飛ぶシーンが自由自在に作れるので、ハリーポッターのクィディッチみたいに急降下して旋回してビュンビュン飛んでました。
誰よりも高いところから「引き下ろさせない」と威厳と怒りに満ちたエルファバが朗々と歌い、黒いマントが翻るさまが圧巻です。
ぜひ見てもらいたいです!
シビアな自己受容
魔法の力が誰よりも強い上に動物達の窮地を知ったエルファバは、究極の選択を迫られます。
それは、肌の色を変える(同じ価値観に染まる)か動物達を助けるか、という点です。
そしてこの「同じ価値観」の本質は、「自分とは異なるものを痛めつけてもよい」という点にあります。
ずっと肌の色で虐められてきたエルファバにとっては、過去の自分が受けてきた仕打ちを当然のこととして受け入れるのかを問われている、ということになります。
しかもこの価値観を肯定すると、自分だけではなく他の動物達も危機に陥りますし、自分も加担せざるを得なくなります。
自分を全力で肯定するか、過去の自分と他人を犠牲にするか(しかも直接手を下す)の2択を迫られているのです。
もし他人の命がかかっていなくて、単に自分のことだけだったら、全体に染まって平穏に生きるという選択肢もあったと思いますので、すずやとしては「めっちゃシビア」と思いました。
主人公の宿命ですね!
ちなみに、塔から落ちていくときに子供のころのエルファバが現れるのは、彼女がありのままの自分を肯定するという意味ですし、自分の力を使いこなせるようになるのは過去も含めて自分を受け入れたとき、というのがまた面白いところです。
蛇足
※ウィキッドを1回しか見てないので、記憶違いかもしれませんが、以下了承の上ごらんください。
子どものエルファバと妹のネッサ・ローズが庭にいるときにいじめてた子供たちって動物もいましたっけ?
もしいなかったら、これは面白いなと。
エルファバは生まれたときに父親と母親からは拒否され、「動物」の乳母に育てられます。
そして、映画内の映像としては、子供時代と大学時代は「人間」によって虐められているので、
自分を拒絶する「人間」と受け入れてくれる「動物」、という対比が発生します。
エルファバにとっての初めての友達は、ヤギの先生だったことからも、人間より動物に遥かに親近感を持っていてもおかしくありません。
マリッサ・ボーディ (ネッサ・ローズ)
ちなみにすずやはこのエルファバの妹(ネッサ・ローズ)の人の歌が好きで、聞いていると泣きそうになるんですよね。
シンシア・エリヴォもいいんですけど、マリッサ・ボーディの歌もぜひ注目して聞いてみてください。
終わりに
さて、次回はウィキッドの小ネタをまとめたいと思います!
ご興味のある方はぜひお楽しみに~!
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